われらアグリ応援団 第32回 「伊藤さんの伝言」
われらアグリ応援団 第32回 「伊藤さんの伝言」
人の温かみを大切に
○会長室は富山県農協会館の7階にあり、花時計や噴水のある県庁前公園を見下ろすことができる。明るい光が差すその部屋で、前富山中央会長の伊藤孝邦さんが、ソファにゆっくりと腰を下ろした。
○社会人になって半世紀。JA生活が終わりを迎えようとしているその日に、グループの第一線で働き続けた伊藤さんに、インタビューの時間を割いてもらった。
○まあ、歓談の話題がふくらむのが、伊藤さんの良さである。
○たとえば退任後にやりたい趣味があるかと尋ねると、「趣味と言ってもゴルフぐらいかなあ。それも、ただのゴルフではありませんよ。下手なゴルフです」などとサービス精神旺盛に語ってくださる。さばさばしているというか、根底に明るいユーモアがあり、これまでも、お会いするたびに人としての奥深さを感じたものだ。次々と来客がある中、取材時間は長くて20分ほどとみていたが、楽しい雑談につい時を忘れてしまった。それもよしとしよう。
○伊藤さんの半世紀に及ぶJA生活をかいつまんでご紹介する。
○立山町の稲作農家に長男として生まれた伊藤さんは、大学卒業後に地元に戻った。農協組織を身近に感じていたこともあって1971年に経済連に入会。富山中央会では農業対策部長や専務を歴任し、その後、地元のJAアルプス組合長(同時に中央会副会長)を経て、中央会の会長職を3期7年勤め上げた。全中でも役員として米政策の要請活動などに力を尽くしたという。
○「長かったからね、そりゃあ思い出はいろいろありますよ。中央会長時代の7年に絞っても、語り出せばきりがありませんなあ」
○農協法の改正から始まり、国が米の生産数量目標の配分をやめるなど政策を転換、その後も新型コロナウイルスが猛威をふるい、ロシアのウクライナ侵攻を背景に資材価格は高騰した。時代は激しく動いている。伊藤さんが気にかけていたのが、農協の経営環境が厳しさを増す中、「小規模JAの行く末がどうなるか」だった。任期中に二つの合併を実現し、胸をなでおろしたという。
○法改正で中央会の立ち位置が変わり、「職員にはできる限り農協へ出向くようにと伝えてきました。協同組合の基本はフェイス・トゥ・フェイス。任期の後半はコロナで身動きが取れない時期も続きましたが、みんなよくやってくれた」と目を細める。
○農協組織の良いところ。「それは人と人とのコミュニケーションでしょう。温かみを大事にしている。わたしも若いころから、周りのみなさんに支えられてきた。先輩に恵まれ、目標にもしてきました。特に思い出深いのが、中央会の専務時代です。3期9年やりましたが、会長だった江西さんや穴田さんから多くのことを教わりましたね」
○地域になくてはならない農協、スピード感をもって会員の負託にこたえる富山中央会であってほしい。農協の良さはたくさんある。これからも人とのつながり、温かみを大切に、JAグループを発展させていってほしい。そんな伝言を残し、伊藤さんは6月30日の午後、職員の拍手に包まれて農協会館を後にした。
日本農業新聞富山通信部ライター 本田光信
▲インタビューに応える伊藤さん
▲花束を受け取る伊藤さん
▲玄関で見送る富山中央会職員